世界を見渡せば、誰もが「天才」と認めるすごい才能の持ち主がいます。
例えば、アインシュタインなどです。
日本にも、時代やジャンルを超えて、素晴らしい天才が綺羅星のごとく存在しますが、代表的な人たちをご紹介しましょう。
時代やジャンルを超えて、天才と呼ばれる日本人
1.江戸時代の天才、平賀源内は日本のダ・ヴィンチ!
平賀源内(ひらがげんない)といえば、エレキテル(静電気発生器)の修復で有名ですが、
鎖国という条件下にもかかわらず、発明家という枠にとどまらず、
蘭学者として油絵や鉱山開発、文学者として戯作や人形浄瑠璃の作品、医者、本草学者など多才ぶりを発揮しています。
結局、「平賀源内って何した人?」って思うかもしれませんが、レオナルド・ダ・ヴィンチをモナリザを描いた画家という狭い枠に閉じ込められないように、平賀源内も幅広い分野で彼の才能を存分に花開かせました。
2.日本の天才絵師、葛飾北斎は、世界を魅了した!
葛飾北斎(かつしかほくさい)といえば、「富嶽三十六景」や「北斎漫画」で、世界的に有名な浮世絵師です。
生涯に発表した作品は、3万点を超えますから、天才にして、多作の人でした。
ゴッホをはじめ、印象派の画家たちに大きな影響を及ぼしたことでも有名です。
北斎絵画の魅力の一つが、北斎ブルーと呼ばれる独特の青色です。
1999年アメリカの雑誌「ライフ」が発表した「この1000年で最も重要な功績を残した世界の人物100人」の中に、北斎は、日本人で唯一選出されています。
3.「世界のクロサワ」は、日本映画が誇る天才!
世界のクロサワ=黒澤明監督は、日本が誇る映画監督です。
「羅生門」「赤ひげ」「七人の侍」などダイナミックな映像表現とヒューマニスティックな作風で、生涯30本の作品を作りました。
アカデミー賞をはじめ、世界三大映画祭(ヴェネツィア、カンヌ、ベルリン)で受賞しています。
また、スピルバーグ、ルーカス、コッポラ、北野武などの映画監督に多大な影響を与えたことでも有名です。
4.日本人初のノーベル賞受賞者、湯川秀樹!
1949年、第二次世界大戦の傷跡がここかしこに残る中、日本人ではじめて、ノーブル賞を受賞したのが湯川秀樹博士です。
彼の受賞は、敗戦によって自信を無くしていた日本人を大いに励ましました。
「陽子と中性子との間に作用する核力を媒介するものとして中間子の存在を予想」したことが、ノーブル物理学賞の受賞理由です。
一般のものには、何のことやらさっぱり・・・ですが、1935年(戦前!)に彼が理論的に予言していた理論は、1947年、イギリスの学者によって正しさが証明され、1949年受賞しました。
5.「芸術は爆発だ!」岡本太郎は、日本の天才芸術家!
岡本太郎といえば、1970年に開催された大阪万博の太陽の塔が有名ですが、
万博終了後、内部は非公開でしたが、整備され、平成30年に再公開され、岡本太郎への関心、称賛が高まっています。
漫画家岡本一平、小説家かの子を父母に育ち、小さいころから絵を描くのが好きでした。
父がロンドンに渡る際に家族で渡欧し、家族が帰国後もフランスに残りました。
その際、抽象美術運動やシュルレアリスム運動にも触れました。
彼はユニークな言動を多くしていますが、「芸術は爆発だ!」は、日本人の心に強く残っている言葉です。
6.あと1年長く生きていれば・・・ノーベル文学賞!?安部公房
歴史に、「たら、れば」はありませんが、あと5年、あと1年長く生きていれば、ノーベル文学賞は間違いなかったと言われているのが、安部公房(あべこうぼう)です。
ノーベル賞に最も近かった天才作家と惜しまれています。
安部公房が活躍した時代は、同時期に、三島由紀夫、大江健三郎など世界的な作家を輩出した時代でした。
安部公房の作品といえば、難解で、実験的、思想的と考えられていますが、読まず嫌いの方も多いかもしれません。
ぜひ、手に取ってみてください。代表作は、「砂の女」「壁」「他人の顔」です。
まとめ
日本人の中での天才を6人、時代、ジャンルを飛び越えて選びました。
まさに予断と偏見で選びました。人によって、天才の定義も異なりますし、ジャンル別、時代別ならまた人選が異なるでしょう。
ひとつの意見として参考にしてみてください。